介護奮闘記・・・・その2

母が倒れたのが、私の産休中でしたので、その後育児休暇を

取得し職場復帰したのは、9か月後で私が介護をしていた事を

知っている人は、誰もいませんでしたし、話せませんでした。

社内誌に掲載されてから、社内で顔は見たことあるけど、話した事は

ないような方から多く声をかけていただいたり、同じ係の同僚でさえ

介護をしていたことに驚いていたり、掲載してから、2か月経ってから

当時の上司(かなり偉い方)が、わざわざ電話をしてきて

「あの時僕は、君に厳しい事を言ってしまっていた」と

(仕事でいろいろと注文されたので)反省の電話をいただき

その時に 

「今 僕は介護をしていて、君の気持がよくわかるよ
    
                      同じなんだよね」と
言われたのです。

私は、この 「同じ」 を発して欲しかったんです。

人は辛い事や悲しい事があっても あまりにも辛すぎたり

悲しすぎると言葉にできなくなるんですよね。

言葉にできるのは、現実として受けとめれるように消化できた時

であって、言葉にできないときには、心や頭の中で考えて考えて

苦しんでいる時だったりしますよね。

私が「介護奮闘記」を書くことによって介護を辛いと思っている方が

考えて苦しんでいる途中で 「うちも同じ」 という言葉を多数

発していただくことができたように思いました。

辛すぎたり、悲しすぎる事があったら、

「わぁーーーーーーーーーーーーー」と

叫ぶだけでも楽になりますよ。発しましょう!!!!








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介護奮闘記・・・その1

フルで仕事をしていた時に、社内誌のようなものがあり

編集をしていた方が 前の上司で、

その当時「介護」で、新聞に悲しい事件が多く

載っていたときでもあり、

「何故社内誌でこの特集をしないの?」と聞いたところ


「とおり一遍の話を書いても みんな同じだから

 もっと社内の制度とかを利用したことを併せて書いたものじゃなきゃ

 意味がないんだよ」 と言われ


何故か、私が「じゃ書くよ」とその場で答えてしまったのです。

私はどちらかというと、文章を書くのが苦手で

学生の時、夏休みの宿題 「読書感想文」が大大大嫌いで

一度姉の文章を全て写して提出し、先生に

「君の文章ではないね」と見破られ とても苦い思い出が

あるのにもかかわらず、書くと言ってしまった私でした。

私が、出産1カ月前に母が小脳脳内出血で倒れたときの

話を「介護奮闘記」として書いたのです。

社内誌始まって以来の初の8ページを使用し(通常2~3ページでした)

書きあげました。私は内容はともかく、介護で頑張っている方に

「同じ組織に同じように介護をしている者がいる」ということ

を知っていただき、あの人も私も同じなんだと思ってもらいたかった

のです。新聞とかだと、何か距離を感じてしまい他人事にしか思えない

ように思っていたので。   ・・・その2へ続く


捜索

今、ミディアムシップの勉強を受けている先生は

いなくなってしまった猫の捜索を引き受けたり

しているという話を聞き、

どこにしまったのか、どこへ置いてしまったか

いつもわからなくなってしまう私には

これは、いい方法と思い、これからは無くしてしまった物を

黒曜石で探してみようと思ったのです。

ちょうど この話を周囲にしていた時

旭川市在住のテディベア作家のベアマムさんが、自転車の鍵を

無くして、家中探してもないとの事で、勉強になるので

是非探させてくださいとお願いして、

1回目に見えたものは、TVの近く、ろーそくの近く、はがきが飾ってあるところ

と、伝えましたが、発見できず、再度チャレンジし、

2回目に見えたものは、日本の人形、赤紫色

と、伝えたところ⇒発見!!!

赤紫色の小さな引き出しがあり、近くにだるまが置いてあった場所で発見との事

私には、日本の人形がダルマだったようで、そして、このだるまの色が黒曜石で

見ていた色と同色でした。発見した場所は何度も探したはずの場所だったそうですが

良かった!!!このような依頼も受けていますので、よかったら、お問い合わせください。



夏が終わりました

昨夜無事に「サライ隊 2012」の手話歌を終えました。

前日のリハーサルで立位置が決まり、これは???

かなり目立つ場所ではないでしょうか!!!!とメンバーと

興奮しつつ、当日の最後の練習では、気が焦り、なかなか合わず・・・

出番直前まで、裏でメンバーと合わせていましたが、不安と緊張が・・・・

でも、本番は、間違えずに 「 心ひとつ 」になれた気がし、

緊張することなく、歌い終える事ができました。

あまり24時間テレビは見ないのですが、今回のドラマを見て

共感しました。最後のほうで「助けてください と言えばいいんです」という

セリフがあり、全てを自分がやらなければいけないと思っていた頃に

このままでは、自分がもたないと気づき、当時、社内の広報誌の

ようなものに、母の介護について掲載したのですが(このお話は、後日アップします)

最後に締めくくった文章が


なんでも自分で やらなければいけない と思っていた私でしたが


    ”私がいなければ、いけないことはあっても
    
    私がやらなければ いけないことは 何ひとつない”


  今では、この言葉をモットーにし、

       楽しいことは、みんなで共有し
  
       泣きたいときには、大声で泣き

       お願いできる事は、お願いするようにしています

と、書いたのです。人を頼ることに、とても抵抗を感じ

もっと頑張れば自分でできるはず、人に弱いところはみせれないなどなど

考えてしまって、自分でかかえ込んで、

でも  「お願いします」 とか 「助けて」って

一度言ってしまうと 本当に楽になれるんですよ。

言えるようになるまで自分を追い込まなくていいんですよ。

テレビでも言ってくれていたので、気づいて欲しいなぁと思いました。

みんな助け合っているんだから、

「I LOVE ME 」でいきましょう。自分を大切に。

あと1週間で手話スクールの宿題を終わらせねば。

まだ暑い日は続きますが、私の夏は終わりました。

 

 



動物園

私は、動物園が大好きです。

でも、園内に必ずある、ふれあい動物園とやら、

犬、猫、うさぎやハムスターなどに触れるというところは、

大変苦手で一切触れません。

檻から見るのが好きなだけです。

子供達と一緒に昔行ったとある動物園に 足に怪我をしている

クマがいて 檻の前に何故怪我をしたのか理由が書いてあったのですが、

当時4歳の下の子には漢字があったため読めず、読み上げて教えてあげたのですが

「違うって言ってるんだよ、そう言う理由で怪我したんじゃないって

本当の理由は・・・・・だって」と話し始め、クマが言ってるの?と聞くと

「そうだよ。」と教えてくれました。

「いっぱい動物たちが、話かけてきて疲れるから、もう行かない」

と言われてしまいました。子供は純粋だから・・声も聞こえるんですね

私には聞こえませんが、必ず行くと動物たちが寄ってきてくれるので

それが嬉しくて、夏の暑い日でも行きたくなってしまいます。



手話スクールとの出会い

仕事を辞めた年の11月から 松村潔氏の「水晶リーディング」に通い

12月の授業で 「来年の自分をよむ」 ということで見たときに、

「 新聞の映像と 笑うというメッセージを感じました 」

仕事を辞め、社会から取り残されていくような気がして

何かしなければと思っていた時だったので、そうか

新聞を読めば リアルタイムな情報が得れるんだ と思い

隅から隅まで(スポーツ以外)読みました。

1月のある日にとても小さく 手話スクールの募集をしていて

「これだ!!」と思い申し込みし、面接を受け通い始めたのが

昨年4月からです。1年生の時には、24時間テレビの出演がある事は

知らず、ただひたすら手話を勉強していたので 今回の事は本当に

ラッキーな事だと思っています。

そして、手話スクールに通い出し、5月から働きだした会社で

偶然にエレベーターが一緒になった方が、

なんやら目で会話しているような????と思っていたら

またも同じエレベーターになり、つたない手話で話しかけると

聴覚障害の方で、今では、お友達になって手話を教えていただいています。

今でもこの方に、「なんで私が聴覚障害者とわかったのか不思議~」と言われます。

なんか感じたんですよね。

笑うというメッセージは、仕事を辞める前まで悲しむ事が多く

あまり笑う事をしていなかったので、これからは笑って生きろ!!

ということなんでしょう。

サライ隊 2012

手話スクール コーラス部より

代表11名が 「24時間テレビ」で手話でサライを歌うことが決定しました。

今日は強化練習最終日となりました。

6月の選考会を突破したく、5月からひたすら「サライ」の自主練を開始し

7月中旬からは、土日の強化練習も始まり、腱鞘炎になりつつも

心をひとつに そしてこのサライの歌に込められた思いを

手話という言葉を通して みなさんへ伝えられるよう

あと1週間 自主練に励みます。

群れる

私は ひとり が好きです。

とにかく群れる(グル―プになる)のが苦手です。


子供のころから、この人はこんな人

あの人とは合わないから 近づかない などと

自分の中で勝手に振り分け作業をしていて

(みんなもそうしているものだと思っていました)

でもそれは、エンパス(共感能力者)ということが関係しているのは

ずいぶん大人になってから知ったことでしたから・・・


自分と同じ考え方をしていると信じ込んで

群れに入っていってしまい

その人を知れば知るほど 生き方 考え方が全く違っていて

どこかで自分が許した人が 違っていた事を

受け入れられなくなってしまって

そんなはずじゃない 自分と同じなんだと言い聞かせて

周りを肯定すると 考え方が違ってしまっているので

自分を否定することになってしまって

自分を見失い 何がなんだかわからなくなりました。

自分を追い込んで 傷つけて やっと ここにいちゃいけない

と気づき 離れました。

本当なら学生時代に気づくような事を

大人になって経験しました。

今思えば なにやっちゃってんの

と思いますが、その時はその状況で生きていく上で必死だったから

仕方ない出来事です。悲しい経験でした。

ヒーリング

ヒーリングを今勉強中ですが、

とにかく実践ということで、我が子にしています。

スピリチュアルな事について 無関心・感じない上の子ですが、

「良いよ 実験台になってあげる」 と言ってくれ

お年頃で額のニキビを治して欲しいとのこと

ヒーリングをおこない、数日経ち

「何か 肌がいい感じ」と言い

毎日欠かさずおこなっていましたが、時々サボると

「昨日やってくれなかったから ニキビが増えた」 

と いいがかりの発言があったり、

感じない上の子も

「ヒーリングしてもらうと 気持がいいんだよね」

と感想を言ってくれました。

感じない上の子が良いと言っているのを聞き

とっても感じやすい下の子も

「やって!!」 とはじまり

「あなたもできるよ」と下の子にざっくりやり方を教え

ちょうど私の左手がしびれていたので

「私にヒーリングして」と下の子にお願いしました。

やってもらうと!? 私が「あっ!!」と思ったと同時に

下の子が「きた~!!!!!!!」 と叫び

私のしびれがとれたと思った瞬間と同時に下の子が一瞬しびれを感じたらしく

「もうやらないからね」 と言われてしまいました

上の子も下の子も勉強する上で欠かせない存在です

選択肢・・・その2

選択肢は、人が与えてくれるものだと思っていました。

例)
仕事で帰れない⇒子供のお迎えに行けない⇒主人に頼む⇒

主人も行けない⇒自分がお迎えにいくしかない

やはり、自分しかいない! 選択肢なんてない!

と思っていました。

私の仕事のモットーは

    「日々完結」

その日の仕事はその日に片付ける という考えで

融通の利かない性格のため「今日中に終わらせなきゃ」と

必死になって、一人でいらだちながら、仕事が終わらない焦り

お迎えに行かなきゃいけない思いで頭の中はパニックになり、

泣きながら ひたすら 頑張らなきゃと言い聞かせている毎日でした。

ある時 子供に「保育園で夕飯食べてみたい」と言われ

(通園していたところは、朝6時30分~夜9時まで預かってくれるところでした)

こちらも私の融通の利かない性格により、夜7時までにはお迎えに行き

9時には寝かせなきゃと思っていたので、5年間通っていてもまだ 

夕飯を園で食べさせた事ありませんでした。

子供からの一言で 「これって選択肢????」

と思ったんです。

仕事で帰れない⇒仕事は明日にまわせるのは、明日へ

          ⇒お迎えを遅くする

          ⇒お迎えを祖父母にお願いする    などなど



子供の一言で気づいたんです。

「選択肢は、自分で増やすものなんだ」

と 選択肢を増やしなさいといわれてから

ずいぶん経って ようやくわかりました。    



選択肢・・・その1

私が、仕事・育児・家事 それぞれに

全ての力を注ぎこみながら、おこなっていた結果

どうにも自分だけでは、こなせなくなり、精神的に参ってしまいました。

当時、ある方から

「あなたには、選択肢がないから、選択肢を増やしなさい」

と言われ、????? どういう意味かもわからず

あなたは仕事をするか?しないか?と聞かれたら

「する」としか答えないでしょ、あなたには しないという

選択肢をはじめから持っていないのよ

もっといろいろな選択肢をもてば、自分が楽になるから

と言われ、それでも?????? 理解するのに

4、5年経ち、ようやく言っている意味がわかりました。  ・・・その2へつづく

仕事

今 思うと恥ずかしすぎますが

縦社会の組織にいた時に

上司に「 まず、俺の話を聞け 」と言われ

何~!偉そうにと思い

「 だったら、私の話を先に聞いてください!! 」と

よく 言っていたなぁと・・・。仕事命だった頃。

あー恥ずかしい!!

「私はこんなにがんばってます」をアピールしてたのかなぁ・・

私を見て! 私の事わかって!と仕事を通して必死になっていたんです。

良いことも悪いことも大人になると

口にはしないけど 見ているのですよね。

  ”お天と様が見ているよ” 

と 子供のころよく言われたっけ。


箱・・・その2

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こちらの箱も旭川市在住のテディベア作家のmam Bearさんに作っていただいたものです。

こちらには、使用している黒曜石やいただいた石などを入れています。

本当に不思議な縁で、mam Bearさんは姉の知人であり、

都内で開催されていたテディベア教室に参加し私も知り合いになりました。

mam Bearさんと我が子と一緒に会うことになった時、

下の子は当時4歳ぐらいで、人見知りがひどく、人に話かけたり、

近寄る事もできなかったのが、何故か?初対面の時に

 ○○ママ~!と呼び がっちり手を握っている姿に

驚愕したのを覚えています。

何か過去生に縁がありますね。

親子揃って 助けられています。

箱・・・その1

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こちらの箱は旭川市在住でテディベア作家のmam Bearさんが

アンティークの生地やビーズ等を使用し全て手作りで作ってくださった箱です。

カードを入れています。エンジェルのとても可愛い生地です。

見ているだけでも癒されます。

私は、いつもmam Bearさんに助けられています。

スピリチュアルな知識がなく感じるままに行動している私が

何故こうなのかなぁ?と疑問に思い、本を読んで調べようと思ってみても

本がたくさんあってわからない!! と思っていると

必ずや、旭川から「よかったら、読んでみて?」と数冊本が送られてきて、

問題解決になるのです。・・・・本当にいつもありがとうございます。です。

手話

私は今、手話も勉強しています。

昨年から手話スクール(2年制)へ通い、今は2年生です。

10代の頃に聴覚障害の方に出会い、手話ができたらなぁ

と思いながらも、数十年が経ってしまい、仕事を辞めた翌年に

偶然 募集を見て申し込みしました。

まだまだ勉強不足ですが、対面でセッションができるように

なる頃までには、手話でお話できるようになっていたいと

思っています。

働く母

母は、みんな同じかと思いますが、

我が家は2人の子供とも5カ月から保育園に預けてしまい

歩くのもお箸を持つのも言葉を覚えるのも全て保育園でした。

私は雨の日、風の日の辛いお迎えの事しか覚えていません。

保育園の部屋に行くまでの階段で

「泣いても 笑っても 一日は一日 今日はどうする?」

と聞いていました、聞く前から泣いている日、ケラケラと笑いながら

「笑う!」と答える日、ふくれっ面で知らんふりする日といろいろでした。

今思うと、なかなか難しい事を聞いていたなぁと反省しています。

誰だって笑って過ごせる1日の方が良いに決まっているよなぁと・・・

「今日1日無事終了! 明日は明日の風が吹くさ!!」

と、気負うことなく前進できるのが理想ですよね。


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